
こんな人に観てほしい:外で強がるのが癖になって、弱音の吐き方を忘れた人へ

しんどい、と言えなくなって久しい。そういう人は、けっこういると思います。
愚痴をこぼせば面倒がられる気がする。相談すれば心配をかける気がする。だから飲み込む。飲み込むのが上手くなると、今度は誰かに優しくされたときの受け取り方が分からなくなる。ありがとう、と言いながら、心のどこかで身構えている。
この作品は、その身構えを店の入口で預けさせます。「ここではあなたのすべてをさらけ出してください」。カウンターの向こうで着物のママが最初に言うのは、それだけです。何も持ってこなくていい。強がりも、置いていっていい。
甘やかされ方を忘れてしまった人にこそ、これは効きます。
あらすじ:悩みを言うと、その悩みが解決した世界に飛ばされるスナック

主演は八木奈々。演じるのは「スナック八木奈々」のママです。
仕組みはこうです。あなたがカウンターで悩みをこぼす。ママはそれを聞いて、「ほら、目を閉じて」と言う。次に目を開けると、その悩みがまるごと解決された世界に立っている。ひとしきり甘やかされて戻ってくると、ママが「どうだった?」と迎えてくれる。それを、悩みの数だけ繰り返す。
上司が厳しくて会社に行きたくない、と言えば、あなたを溺愛する優しい上司の世界へ。コンセプトカフェで散々な目に遭った、と言えば、ガチ恋してくる女の子の世界へ。可愛がっていた猫がいなくなった、と言えば――そこにも、ちゃんと連れて行ってくれます。
そして飛ばされた先にいるのは、どの世界でも、彼女です。
見どころ1:この店、悩みの内容がそのまま世界の設計図になっている

この構造が、想像以上によくできているんです。
たとえば厳しい上司に潰されかけている客には、こんな上司が用意されます。地方への営業で、宿はツインの部屋しか空いていなかった——その一室にいるのは、こちらを全力で肯定してくる上司です。仕事が早い、気が利く、優しい、褒めるところが多すぎて困る。そのうえで「顔も、私のタイプなんだよね」ときた。極めつけが、「私、上司だから、こんなことしちゃいけないってわかってるんだけど」。……分かっていて、やるんです。日々あなたを削っている上司という存在が、そっくりそのまま、あなたを甘やかす装置に組み替えられている。
でも、この仕掛けがいちばん不意打ちの形で刺さるのは、猫の世界線でした。
いなくなった猫が戻ってこない、と打ち明けた客に、ママは「きっと帰ってくるわ」と言って目を閉じさせる。開けると、猫がいる。人の姿をして、語尾に「にゃん」をつけて、こう言うんです。「猫はずっといなくならないにゃん」。
ここで私は、ちょっと言葉に詰まりました。だってこれ、慰めですよ。エロい作品を観ていたはずなのに、急に胸のやわらかいところを撫でられている。しかも当の猫はけろっとした顔で、いつものあれをして、とねだってくる。いつものあれ、というのは大人のおもちゃのことです。しんみりした空気が、あっという間に甘ったるい責め苦に上書きされていく。
そして目を覚ましたあなたに、ママはこう言い添えます。戻ってきたら、必ず「おかえりなさい」って言ってあげてね、と。参りました。
見どころ2:「ギャルの私のことも、好きになってほしい」

たっぷりと時間をかけて描かれるのが、幼なじみのギャルの世界線です。
きっかけは、ずいぶん情けない相談でした。派手な女の子はどうせ自分なんて相手にしてくれない、という、あの諦め。ママは即座に否定します。そんなことないわよ、だって君、素敵だもん。もっと自分に自信持って、と。
そして飛ばされた先で待っているのが、毎日あなたの家に入り浸っている幼なじみの奈々ちゃんです。彼女は返事を待っています。好きだから付き合ってほしい——その台詞を、あなたはもう二回も言わせている。サッカー部の先輩に告白されたけど、好きな人がいるからごめんなさいとちゃんと断ってきた、と彼女は言う。「あんたに一途だから」と、真顔で。
その挙げ句に出てくるのが、この一言です。「ギャルの私のことも、好きになってほしい」。
——これ、順序が逆なんですよ。普通、こちらが好かれたくて必死になる相手です。その子のほうが、自分を選んでくれと願っている。諦めていた側が、いつのまにか選ぶ側に立たされている。この反転を、彼女は勢いだけで成立させてしまう。キスは散々してきたけど最後までは初めて、という段になっても、止まる気配がない。「一回だけ好きって言って」とねだられる。そして彼女はこちらの顔を覗き込んで、「めっちゃいい顔してる」と笑う。逃げ場のなさが、心地よさに化けていきます。
最後に:いちばん最後の世界に座っていたのは、ママ本人だった

全編156分。長い夜の締めくくりに、ママがカウンターから出てきて、あなたの隣に座ります。
ここまで彼女は、ずっと与える側でした。悩みを聞き、世界を用意し、送り出し、迎える。その彼女に、あなたは尋ねる。あなたを甘やかしてくれる人はいるんですか、と。返ってくるのは「私は大丈夫」。ずっと一人でここまで生きてきたから、と。
そこで引き下がらなかったのが、この作品のいちばん美しいところです。あなただって優しくされたいはずだ。そう言われた彼女は、まず疑います。みんなに言ってるんじゃないの?と。それから、ぽつりとこぼす。甘やかされる側に回るというのは、こんなに緊張して、こんなに勇気がいることなんだね、と。
甘やかす専門の人が、甘やかされることに、慣れていない。その戸惑いが、こちらの胸を締めつけます。そして戸惑いながら、彼女はちゃんと受け取ってくれる。「君の居場所は、いつだってここにあるから」。
観終えたあと、あなたはたぶん、誰かに優しくすることが少し怖くなくなっている。優しくされるのを申し訳ないと思う癖も、ほんの少し緩んでいる。甘やかされるのも、甘やかすのも、どちらも勇気がいる。それを教えてくれる作品です。
そして最後に、彼女はこう言って送り出してくれます。甘やかされたくなったときは、いつでもここに来てね、待ってるから。この一言のために、この店の扉を開ける価値があります。
