
こんな人に観てほしい:「面倒見のいい先輩」に、内心で気がある全員へ

会社の先輩で、仕事ができて、自分の面倒も見てくれて、笑顔の温度が高い人──そういう先輩が、職場にいる人もいれば、いない人もいる。いる人は、その人に内心で「気がある」状態を、なんとなく抱えたまま、毎日働いている。本人には絶対に言えない、言ったら今の関係が崩れる、でも、その気持ち自体は消えない、という保留状態。
本作はその保留状態が、酔った勢いと記憶喪失という事故で、一晩だけ解除される話です。女優は那賀崎ゆきね。メーカーはunfinished。「勘違いに付け込んでセックスしたのは、私の意思だから」と、翌朝に言ってくれる先輩がいる、という奇跡を、貸してくれる作品。
あらすじ:「酔っ払いすぎてたから、私がお家まで送ってあげたんだよ」

舞台は自分の部屋。目を覚ますと、目の前にゆきね先輩がいる。新規契約を取った祝いに、二人で飲みに行ったところまでは覚えている。「仕事して、先輩の私と飲みに行って、それから?覚えてない?」「酔っ払いすぎてたから、私がお家まで送ってあげたんだよ」──事情は、先輩の側から、丁寧に教えてもらえる。
「冷蔵庫開けちゃうよ」「苦しそうだから緩めようか、緩めてあげるね」「シャツも後で動けるようになったら、ちゃんと脱ぐんだよ」──世話の温度が、完全に「彼女」のそれ。「面倒見がいい先輩」と「彼女」の境界線が、この時点でもう、本人の中でも曖昧になっている。
「それじゃあ私は帰るから」と一旦立ち上がる彼女に、こちらが何かを言う。「まだいてほしいの?もしかして後輩君って酔うと?しょうがないなぁ、じゃあ少しだけだよ」──「しょうがないなぁ」。この一言が、本作のスイッチ。「しょうがない」と言いつつ、笑顔で残ってくれる先輩は、本当は最初から残るつもりだった可能性が高い。
見どころ1:「勘違いしたままで、キスしてて」と、先輩から指示してくる

二人で話しているうちに、こちらが酔いで朦朧として、目の前の先輩を彼女と間違えてしまう。「後輩君ったら酔ってるんでしょ」「私は先輩のゆきねだよ」と、最初は本人として訂正してくる。──しかし、こちらの勘違いを察した直後、彼女は訂正をやめる。「あなたの彼女」役を、自分で引き受けると決まる瞬間。
「後輩君は私に?私に気があると思ってたんだけど、私うぬぼれだけど、なんとなくそう感じてたんだ」──「気があると思ってた」を、彼女側が、先回りで言葉にしてくる。こちらが死ぬまで隠そうとしていた「気がある」を、彼女が代わりに言葉にして、しかも「うぬぼれ」とフォローまで付けてくれる。先輩の話術が、上から下まで全部、優しい。
「私たちいつから付き合ってるの?1ヶ月ぐらいもう経ったんだ」「彼女なんだから普通でしょ?上になるよ、今だけは私のこと」「勘違いしたままで、キスしてて」──「勘違いしたままで」。先輩が、自分から「勘違いの維持」を頼んでくる。本来なら、勘違いしている方が悪い構造を、彼女側が「そのままでいて」と引き取ってくる。罪悪感の所在が、こちらから消える。
「キスできて、嬉しい」「ベロキスも好き」──勘違いを利用しているはずなのに、利用されている側が本気で喜んでくれている。この温度差が、こちらの罪悪感を、もう一段薄める。
見どころ2:「彼女と勘違いされてたのは、ちょっと寂しかった」── 翌朝の答え合わせ

行為の途中で、こちらが酔いから少し覚めて、申し訳なくなる。「ごめんなさい」と漏らす。すると返ってくる、本作で一番重い台詞。
「謝ることないんだよ。だって後輩君、酔って私のこと彼女と勘違いしてたんでしょ?付け込んでセックスしたのは、私の意思だから」「でも、エッチできたのは、すっごい嬉しいから」「彼女と勘違いされてたのは、ちょっと寂しかった」
──「付け込んだのは私の意思」。ここで関係の構造が、完全に反転する。「酔った後輩が、先輩を彼女と勘違いしてしまった事故」だと思っていたのが、実は「先輩の側が、勘違いを利用して、一晩を成立させていた」と判明する。罠の主体が、こちらだと思っていたら、向こうだった。
「彼女と勘違いされてたのは、ちょっと寂しかった」──本作の一番効く一言。「勘違いされてたのは寂しい」=「彼女としてじゃなく、ゆきねとして抱かれたかった」という、剥き出しの本音。これを翌朝に言える先輩は、強すぎる。
そして、彼女からの追加提案。「気持ちよくしてあげるから、いいでしょ?」──もう「勘違い」のフィルターが外れた状態で、本人として、もう一回。酔いから覚めて、罪悪感が来るタイミングで、それを上書きする本番を、彼女が用意してくれる。
最後に:「彼女さんとこういうこと、全然してないんでしょ?」

行為の終盤、もう一段、刺してくる台詞が来る。「また入れたくなっちゃったんでしょ?」「彼女さんとこういうこと、全然してないんでしょ?」「私ならいっぱい、こうやってパンパン、いっぱいしてあげるよ」「私だったら毎日してあげるのになぁ」
──「彼女さんとこういうこと全然してないんでしょ」。今こうしている本人(=ゆきね先輩)が、こちらの「本物の彼女」の存在を踏まえた上で、「私の方ができる」と宣言してくる。NTR構造を、彼女自身が言語化してくるところが、本作の本当の核。
そして「私だったら毎日してあげるのになぁ」──「のになぁ」。実現していない仮定として、語尾を流す。今は彼女がいて、毎日できない、という現実を、ふっと挟んでくる。ここでこちらは、自分の選択(=今の彼女との関係)を、もう一回、評価し直すことになる。
観終えたあと、思います。「面倒見のいい先輩」を、職場で持っている人は、たぶん、その人の存在を、頭の中で何度も再生し直すと思います。「あの人が、もし酔った夜に、勘違いを利用してくれたら」──そういう想像を、本作は70分間、丁寧に代行してくれる。会社で一番優しい人が、最後まで優しいまま、こちらの心を掬う作品です。
