
こんな人に観てほしい:好きにしていいよ、と言われるより、いちいち訊かれたい人へ

積極的な女の子が出てくる作品は、たくさんあります。何も言わずに進めてくれる子、こちらの反応を待たずに押し切ってくる子。それはそれで気持ちいい。
でも、それとはまったく別の快感があります。いちいち訊かれる、という快感です。
訊かれるというのは、返事を待たれているということです。つまり、こちらが確かにそこにいると認識されている。一人で盛り上がっている相手の前で置物になるのではなく、ちゃんと二人でやっている。この差は、想像よりずっと大きい。
誰かと過ごす時間が、自分の意思をひとつも確認されないまま流れていく。それにうっすら渇きを覚えている人。この作品は、その渇きを驚くほど正確に満たしてくれます。
あらすじ:「一緒にいる間、ずっとイチャイチャしてていい?」から始まる

主演は花守夏歩。この一本が、彼女にとって初めての8K VRです。
始まりかたが、もう完璧なんですよ。名前を名乗ったあと、彼女が最初に口にするのがこれです。「一緒にいる間、ずっとイチャイチャしてていい?」。宣言でもお願いでもなく、確認。そして続けて「緊張してる? 私も緊張しちゃうから、緊張しないで」。
——自分も緊張していると認めたうえで、こちらの緊張をほぐしにくる。この時点で、もう勝負がついています。
そこからは、順番に距離が縮まっていくだけです。まずキスの許可を取り、そのまま「ハグしよう」と抱きついてきて、さらに「エッチなチューしていい?」と深いキスの許可を取る。ひとつずつ段階を踏んで、そのたびに「いい?」と訊いてくる。急ぐ気配はまったくありません。急がないのに、確実に近づいてくる。
見どころ1:許可を取る回数が、とにかく異常

数えるのを諦めるくらい、この子は訊いてきます。
服を脱ぐときは「見たい?」から始まって、「じゃあ見て」。見せながら「恥ずかしい」を何度も繰り返し、そのうえで「絶対広げないでね」と釘を刺してくる。しばらくすると「見すぎだよ」と怒って、「おしまい」と隠す。そのくせ次はここが見たいと求められると、また「いいよ」と見せてしまう。
この往復が、ずっと続くんです。恥ずかしがる、見せる、怒る、また見せる。拒否と許可の間を行ったり来たりしながら、結局は最後まで拒み通さない。
そして極めつけがここです。挿入の場面、訊いてくるのは彼女のほうなんですよ。「入れたくなっちゃった」「入れてもいい?」。
——待ってください。普通、逆でしょう。こちらが求めて、彼女が受け入れる。その順序がひっくり返っている。しかも挿入したあとも「もっと激しく動いてもいい?」と、いちいち許可を取り続ける。全部この子の意思で進んでいるのに、決定権はこちらに預けられたまま。この気持ちよさは、ちょっと他で代わりが利きません。
見どころ2:攻める側と攻められる側が、何度もひっくり返る

散々見せて、散々触られたあと、彼女がふいに言います。「次は、あなたの体触ってみるよ」。
ここから空気が変わります。「あなたの体も教えて」「どこ好き?」と聞きながら、こちらの体を探り始める。反応した場所を見つけると、そこを執拗に責めてくる。さっきまで恥ずかしがっていた子が、今度は完全に主導権を握っている。
しかもこの子、お預けが上手いんです。「まだ出しちゃダメだからね」。こちらが危うくなると「まだダメだよ」ともう一度止める。そうやってさんざん引き延ばしておいて、いよいよ限界になると、ようやくこう言うんです。「我慢できないの? 出したいの? しょうがないなー……いいよ」。
この「しょうがないなー」に、私は完全にやられました。呆れているようで、全部見抜いている声。そして、お許しが出る。
役割は、そのあとも何度も入れ替わります。「次は私の番ね」と言って自分から始めたかと思えば、「一緒に舐め合いっこしよう」と、また対等な位置に戻る。一方的なご奉仕でも、一方的な責めでもない。ずっと交互で、ずっと対等。だから最後まで飽きが来ません。
最後に:この子がいちばん見たがっているのは、あなたの顔です

全編120分。これだけの長さなのに、観終わったあとに残るのは疲労ではなく満足感です。理由ははっきりしています。
彼女、こちらの顔ばかり見ているんです。「気持ちいい顔見るの好き」「その顔、大好き」「気持ちいい顔、もっと見せて」。自分が気持ちよくなることより、こちらが気持ちよさそうにしているかを気にしている。行為が終わったあとも「気持ちよかった?」「下手じゃなかった?」と確認してくる。
そして最後、「きれいにしてあげる」と後始末まで引き受けたあとに、ぽつりと一言。「わたしも大好き」。
——この「も」が効くんですよ。こちらが先に何かを言ったことになっている。こちらが訊かれ、待たれ、返事をした——その相手からの「私も」です。
観終えたあと、あなたはたぶん、誰かに何かを訊かれるという当たり前のことが、こんなに贅沢だったのかと気づかされます。愛嬌という言葉が、そのまま形になっています。
