
こんな人に観てほしい:推しには、触れられない。その一方通行に覚えがある人へ

思い出してほしいんです。コンビニで週刊誌をめくって、推しのグラビアページで手が止まったときのことを。写真集を買って、SNSを追いかけて、毎晩お世話になって。それだけ人生を捧げても、向こうはあなたの存在すら知らない。推し活というのは、構造的に一方通行なんです。注ぎ込んだものは、原則、返ってこない。それが当たり前だと、あなたはとっくに諦めているはずです。
この作品は、その諦めの壁を、ナース服を着て越えてきます。学生時代から毎日のようにオカズにしてきたグラドルと同じ顔、同じIカップの人が、担当ナースとしてあなたのベッドサイドに来る。しかも仕事ですから、向こうから毎日、世話を焼きに来てくれるんです。そしてもうひとつ。入院したことがある人なら、あの夕方から病室にじわじわ満ちてくる心細さを知っているでしょう。高熱の夜、誰かに額を触ってもらえただけで泣きそうになった記憶がある人なら、話は同じです。人間、弱っているときの優しさには、防御力がゼロになる。弱った心に、推しの顔をした献身。この二段構えです。逃げ場はありません。
あらすじ:人生初の入院。検温に来たナースさんの顔に、見覚えがありすぎる

あなたは人生で初めての入院を迎えた患者です。慣れない病室、消毒液のにおい、明日どうなるか分からない不安。そこに現れた担当ナースさんの顔を見て、あなたは点滴より先に、心臓へ何かを流し込まれます。毎日お世話になってきた、あの紫堂るいに、そっくりなんです。顔だけじゃない。白いナース服を内側から押し上げる、あのIカップの輪郭まで。そっくりさんなんてレベルじゃない、これは本人なのでは。
勇気を振り絞って、聞きます。「あの…グラビアアイドルの紫堂るいさん…ですよね?」——「えっと…いや…違いますけど…」。否定されました。以後、何度水を向けても「私、グラビアとかやったことないんです」の一点張りです。まあ、そうですよね。こんな都合のいい偶然、あるわけがない。演じるのは紫堂るい本人。エスワンの単体VR第2弾で、彼女は「本人にそっくりな担当ナース」という、ファン心理の急所を正確に突く役を引き受けました。「絶対に本人」と「本人は否定」の間で宙吊りにされた、夢のような入院生活。その答え合わせは、退院の日まで取っておいてください。
見どころ1:「いつもみたいに、していいですよ」——検温から始まる、危険すぎる看護

「体温測りますね」「36.5℃ですね」。上がっていないのは、体温計の数字だけです。毎日誌面で見てきた顔が、至って真面目に「体、拭いていきますね」「気持ち悪いところ、ないですか?」と世話を焼いてくる。この人、ちゃんと看護をするんですよ。そしてその間、視線を必ずこちらの目に合わせてくる。誌面の推しは、カメラを見ている。でもこの人は、あなたを見ている。この違いが、じわじわ効いてきます。彼女が屈み込むたび、布がこんなに張るものかと思う胸元が視界を占領して、こっちの容体は体温計に出ない部分だけ悪化していく。
で、彼女は見逃してくれません。「どうしました?」。怒られる、と思うじゃないですか。ところが返ってきたのは——「いつもみたいに、していいですよ」。私はこの一言で崩れ落ちました。「いつもみたいに」って、こっちの「いつも」はあなた(の顔)でしてたんですよ。それを、その顔の本人を前にして、公認でやっていいと言われる。この状況のいたたまれなさと多幸感、伝わりますか。
そこからのキス、おっぱい、パイズリ。許されて触れるIカップは、柔らかさより先に「量」で来ます。指を置いたところ全部が沈む。掴みきれない。そして始まるパイズリが、もう包容力の暴力なんです。湯船に肩まで沈んだ瞬間、勝手に息が漏れて体がほどける——あの感覚が、いちばん敏感な一点にだけ集中して押し寄せてくる。挟まれているのに、抱かれている。効く。点滴より、よっぽど効く。しかもここは病室。「声、我慢ですよ」と囁かれて、必死に息を殺すことになる。とどめに耳元で「全部、出してあげましょうか?」。我慢できた人がいたら、教えてください。
見どころ2:「昨日、雑誌見てましたよね」——「違います」と言った人が、夜、嘘が下手になる

この作品の心臓部は、夜です。眠れずにいるあなたのところに、彼女が来てくれる。「明日のことが不安で、眠れないですよね」「私が、不安をなくしてあげられたらいいんですけど」。体を拭くのは仕事です。でも、患者の不安のために夜に来てくれるのは、もう仕事じゃない。そして続く一言で、心臓を撃ち抜かれました。「昨日、雑誌見てましたよね。グラビアとか、好きなのかなって思ったんで、こういうの好きかなって」——あなたの好みに寄せた姿で、来てくれたんです。おかしいでしょう。この人、「グラビアとかやったことない」と言い張っていた人ですよ。やったことがないはずの人が、患者の読んでいた雑誌をちゃんと見ていて、その好みに完璧に寄せてくる。嘘が、どんどん薄くなっていく。そして、ひとこと。「しますか?」。
ここからの彼女は、昼間の献身が前振りだったと分かる、怒涛の豹変ぶりです。騎乗位で目の前に繋がったまま揺れて、対面座位では顔が同じ高さに下りてきて、吐息のかかる距離で抱き合う。バックに変われば、反り返った腰からお尻へ流れるラインが目の前で揺れる。私はここで、彼女がグラドルである意味を思い知りました。何を着ても様になる体は、脱いだら暴力でした。正常位で大きく脚を開かせて奥まで届く頃には、8Kの画が肌の血管まで拾う解像度で、彼女の首筋と耳がじわじわ赤く染まっていくのを見せてくる。演技で、そこは赤くならないでしょう。声のやさしさは「痛い?」「いいですよ」と最後まで看護師のままなのに、ふとした瞬間、癒し系の目が驚くほど大人の女のそれに変わる。昼の「声、我慢ですよ」が、夜には彼女自身への言葉になっていく。この温度の上がり方は、ぜひ体で確かめてほしい。そして彼女は、一度で終わらせてくれません。不安をなくしてあげたい、というあの言葉に、嘘がなかった。出し尽くして、空っぽになって、気づけば明日のことなんて考える余力は残っていない。これはもう、治療です。
最後に:退院の日、ずっと否定していた人が置いていく一言

そして退院の日が来ます。夢のような入院生活の、別れ際。ずっと「違いますけど」と首を振り続けてきたナースさんが、最後の最後に、こう言うんです。「また入院したら——私が出てる週刊誌、持ってきますね」。……出てるんかい。私はここで声が出ました。本物だったんですよ。彼女は最初から全部わかっていた。目の前の患者が自分のファンであることも、この患者が布団の中で何を持て余していたかも。全部知っていて、知らないふりをして、あそこまで寄り添ってくれた。67分、余計な回り道なしに献身を積み上げてきた作品が、このひとことで「推しに看病される夢」から「推しが、僕を選んでくれた話」に化ける。でも、きっとあなたは驚かない。だって、口はグラビアを否定できても、必ずこちらに合わせてくる視線と、赤くなっていく耳だけは、最初から嘘をつけていなかったんですから。
この作品を観終えたあと、あなたはきっと思うでしょう。推しとの距離は、画面や誌面の厚さぶんだけあるんじゃない、こちらが諦めたぶんだけあったのだ、と。一方通行だと思っていた矢印が、最後に向こうから返ってくる。次の健康診断で「要再検査」の文字を見て、不安より先にほんの少しときめいてしまったら——それはこの作品の、いちばん幸せな後遺症です。どうぞ、お大事に。そして、お楽しみに。
