
こんな人に観てほしい:誰にも言えなかった「好き」を抱えて生きてきたあなたへ

あなたに質問です。
自分の性癖を、誰かに正直に話したことはありますか?
飲み会で「おっぱい派?おしり派?」なんて軽いノリの話題が出る。周りが笑いながら答える。あなたも笑って適当に合わせる。でも本当のことは言えない。だって、あなたの中にあるのは「おしり派」なんていう生易しいものじゃないからです。
女性の臀部の丸み、Tバックの食い込みが作る陰影、四つん這いになったときの腰からヒップにかけてのライン。それを見ると頭の中が真っ白になる。心拍数が跳ね上がる。でもそれを言葉にした瞬間、変態のレッテルを貼られる気がする。だから黙っている。ずっと黙っている。
胸なら市民権がある。脚フェチも、まあギリギリ許される空気がある。でも尻は、どこかワンランク下に見られている。変態寄り。マニアック寄り。そういう空気を、私たちは無意識に吸い込んで育ってきた。
街を歩いていて、ふと目の前の女性のヒップラインに目が吸い寄せられる。慌てて視線を逸らす。好きなだけなのに。ただ美しいと思っただけなのに。自分が加害者になった気がする。
この孤独、あなたにしかわからない。
そしてこの孤独を、真正面から溶かしにくる作品が存在します。
あらすじ:裏垢美少女たちの「個撮ごっこ」が溶けるまで

kawaii*が送り出した尻フェチ特化の3人共演作。北岡果林、花守夏歩、入田真綾。この3人がパステルカラーのレインボーファーラグが敷かれた南国風のスタジオに集まっています。
設定は「SNSでバズりたい裏垢美少女の個撮撮影会」。水色のハイレグワンピースの果林が場を仕切り、黄緑の夏歩がケラケラ笑いながら乗っかり、ピンクの真綾が少し照れながらもちゃんとついてくる。互いの尻の弾力を確かめ合い、笑い転げる。ここまでは「撮影」です。あくまで。
ところがこの個撮ごっこ、内側から崩壊していきます。ポーズを取っていた子たちが、ポーズじゃなくなる。笑顔が、カメラ向けの笑顔じゃなくなる。「撮影」という名目があるからこそ、それが崩れたときの落差が途方もない。
そして折り返し地点で、全員が黒いハニカム柄のシースルーボディスーツに着替える。髪型も全員変わる。壁の装飾まで変わる。同じ部屋なのに、空気ごと入れ替わる。パステルの清涼飲料水だと思って口をつけたら、グラスの中身がウイスキーに変わっていた。そういう衝撃です。ここからの長丁場のローテーションが、この作品の真骨頂です。
見どころ1:MC・ムードメーカー・控えめな子。この三角形が崩れない奇跡

ハーレム作品の最大の敵は「待機時間」です。1人がメインで動いている間、残りの2人はどうするのか。多くの作品はここでつまずく。手持ち無沙汰で横にいる、形だけ触っている、どこを見ていいかわからない顔をしている。あなたの視界の中に「何もしていない人間」がいる。その瞬間、夢から覚める。3人分のチケットを払ったのに、体験は1人分。
この作品は、その構造的問題に正面から答えを出しています。
北岡果林はMCです。自分のターンでないときにこそ本領を発揮する。他の子が感じている瞬間に、驚いた顔をして口を大きく開けたり、横からニヤッと笑いかけたり。場が一瞬でも静かになりそうな気配を感じると、間髪入れずにそこへ飛び込んでくる。バラエティ番組のMCがワイプで抜かれたときに全力のリアクションを返すのと同じ。あの技術を、天然でやっている。
花守夏歩はムードメーカー。この子のすごさは、何もしていないのに画面が明るくなるところです。どの瞬間にカメラが捉えても、丸顔にお団子ヘアで満面の笑み。嘘がないんですよ、あの笑顔には。誰かが少し気まずそうにしていても、この子がニコッと笑えばそれで場が持つ。暖炉のような存在。
入田真綾は、3人の中でいちばん控えめ。普段は一歩引いている。穏やかな笑みで場を包み込んでいる。ところが自分の番になった瞬間、その控えめさが嘘のように声が漏れる。このギャップが、あなたの胸を撃ち抜く。それを隣で見ていた他の2人がニヤニヤしている。
この3人が奇跡的なのは、誰もポジションを奪い合わないことです。MCはMCの仕事を、ムードメーカーはムードメーカーの仕事を、控えめな子は控えめな子としての美しさを、それぞれが全うしている。だから誰がいつ映っていても画面が成立する。「3人いるのにひとりが空気」にならない。全員が常に「いる」。これがどれほど難しいことか、ハーレム作品を観てきた人ほど痛感するはずです。
見どころ2:パステルから漆黒へ――衣装チェンジという名の脳のリセット

人間の脳は同じ刺激に慣れるようにできています。心理学では「馴化」と呼ぶ。どんなに美しい景色も、毎日見ていれば壁紙になる。3人いようが5人いようが、同じメンバー・同じ部屋・同じ空気が続けば、脳は処理を放棄し始める。「3Pは序盤がピーク」という経験則を持っている人は少なくないはずです。
この作品は、その馴化を衣装と髪型で殺しにくる。
前半のパステルカラーは、レインボーファーラグ、ハートのクッション、ヤシの木のビーチ絵。脳は自動的に「明るくて楽しい場所」とラベルを貼る。3人の笑い声がそのラベルを強化する。
そこに、黒が入ってくる。
ハニカム柄のシースルーボディスーツ。六角形の幾何学模様にラインストーンが光る。肌が透けているのに、パステル水着より隠されている面積が多い。さっきまでの開放感とは真逆の、締め付けられるような妖艶さ。しかも髪型が全員変わっている。下ろしていた髪がアップになり、お団子になり、ポニーテールになる。うなじが現れ、フェイスラインが変わり、数分前まで見ていた3人なのに、別の女性が登場したような錯覚が走る。
ここが決定的に重要なのですが、衣装が変わっても笑顔は消えない。パステルのときと同じ笑い声が、黒い衣装の中から聞こえてくる。これが意味することは明快です。昼も夜も、ポップでも妖艶でも、あなたの好きなものは肯定されている。前半の多幸感と後半の色気が脳の中で混ざり合って、1本なのに2本分の満足感が残る。こあら太郎監督が仕掛けた「途中で全とっかえ」は、長尺に対する明確な回答になっています。
最後に:あなたはもう、視線を逸らさなくていい

正直に告白します。
この作品を観終わったとき、私の中に残ったのは性的な余韻だけではありませんでした。もちろんそれもある。あったに決まっている。でもそれ以上に、胸のあたりがじんわりと温かかった。
尻フェチ作品を観た後の感情として、どう考えてもバグっている。でも温かいものは温かい。
たぶん、あの3人の笑顔に嘘がなかったからだと思うんです。76分間、誰にもジャッジされなかった。尻が好きだという感情を、否定する人が画面の中に一人もいなかった。むしろ3人が全力で「それ、いいじゃん」と笑ってくれていた。
私たちは「言えない好き」をたくさん抱えて生きています。尻フェチに限った話じゃない。自分だけの、自分にしかわからない、説明しても理解されない「好き」を、みんな胸の奥に隠している。この作品は、その隠された「好き」を引っ張り出して、パステルカラーのラグの上に並べて、3人の笑顔で照らしてくれる。
3つの尻だけで押し切る。この潔さは、裏を返せば「あなたの好きなものだけで十分なんだよ」という宣言です。他の何も混ぜない。薄めない。ごまかさない。
観終わったとき、あなたはきっとこう思うでしょう。
ああ、尻フェチでよかった。この性癖を持って生まれてきて、よかった。
それは人生で何度も出会える感情ではありません。この1本が、あなたにとってのその1回になることを、心の底から願っています。
